おうちパン研究家 岩田 緑 の ブログ
 
自宅でパン教室してます http://green2005.run.buttobi.net/
 


2010年6月7日を表示

ほっとけーき

週末はバタバタしてパンが作れなかったりする。
月曜日の朝は普段どおりパンが食べたいから、冷凍パンには手を出せない。

そこで、日曜の朝にときどき「ほっとけーき」が登場しています。
前日の夕方か夜のうちに生地を混ぜおいて、ホットプレートも出しておく。
180℃に温まるまでの時間に、トッピングを用意すれば準備オッケー。



プレーンは必ず、バターとはちみつをつけてね。
ハム&チーズもおいしいし、メープルシュガー&レーズンも。



ぎっしりライ麦パンで使ったミューズリーの残りとか
レーズン&シナモン、コーンも合う。



前の晩に作った生地は、ふっくらしてだれない。
中はしっとり、おいしいです。

準備は楽だし、月曜の朝もパンが食べれるし、言うことなし♪



2010年6月7日(月)15:34 | トラックバック(0) | コメント(0) | たべもの日記 | 管理

歩こう会

よく晴れた日曜日、町内壮年会主催の「歩こう会」がありました。
9時半に公民館を出発し、県道脇の長閑な田舎道を楽しくウォーキング。



岩峅寺からひと駅先の『横江駅』です。初めて見ました。
ここまで来ればあと少し。


今回の目的地は・・・
100数十億円もの予算をかけて、10年がかりで改修された『横江頭首工』。
初めて行きました。



どのような施設なのか。
休憩を兼ねて施設内でDVDを鑑賞し、勉強してきましたよ。

実は実は、この常願寺川流域の富山平野で暮らしている私達にとって
なくなてならない大切な仕事をしているところなのです。
「常願寺川」は、源流から河口までわずか56kmと短く、標高差約3000m。
日本でも超一級の「暴れ川」として氾濫の歴史を繰り返してきた河川です。
1858年に推定マグニチュード7の地震が起こり、立山カルデラの鳶山が大崩落。
大量の土砂が流れ出て、下流の村々を襲いました。
それにより川底が浅くなり、以降年に1回は洪水が起こる「暴れ川」となったのです。
高低さのため立山町側の右岸に比べ、富山市側の左岸の方が被害が大きく
見かねた加賀藩は、被災した村ごと右岸側の高台に移住することを奨励したそうです。



1891年、県知事の要請を受けて、明治政府から派遣されたオランダ人技師ヨハネス・デ・レーケが
常願寺川の改修事業を提案、指導し、治水に貢献しました。
その対策の1つが「農業用水の取り入れ口の合口化」。
左岸側に6ヶ所、右岸側に7ヶ所あった取水口が1つにまとめられたのは1952年のことでした。
先人たちの努力によって、横江頭首工、両岸分水工、左岸連絡水路橋が完成し
安全に、公平に、農業用水が利用できるようになりました。

今なお、立山カルデラ内には約2億㎥の土砂がまだ残っています。
これは、富山平野全体を平均2mの厚さで埋め尽くすほどの量!
年間23~28万㎥の土石流が流出し続けており、時には10t以上の大転石が流下する。
石と石とが衝突して水中で火を噴くとも言われる異常な土石流に
50年余り耐えてきた横江頭首工、左岸連絡水路橋は激しくいたみ
また水流量が増えたこともあって、平成11年度から改修工事が行われました。

広く強く生まれ変わった横江頭首工。
ここから分け取られた農業用水が、両岸分水工で50:50に分けられ
右岸は「常東合口用水路」、左岸は連絡水路橋を渡って「常西合口用水路」へと流れます。
農業用水、流雪、防火用水や洪水調整として、また桜並木のある水辺の風景が
私達の生活の隅々にまで潤いを届けてくれています。
我田引水による争い、洪水、氾濫がない暮らしに改めて感謝しつつ
地域の歴史と施設の重要性を感じました。



やっほーと出発した私。
足首には1kgずつウエイト装着。

去年は途中リタイアして車に乗ってしまった娘。
今年は保育所の小さなお友達と手をつなぎ、弱音を吐きつつも完歩しました。
早々に大きな熊の糞に出くわし、珍しい毛虫やおたまじゃくし、さらに蛇にも遭遇。
道脇の藪下ですす竹を摘んだり、笹の葉で舟を作って流したり、なんだかんだ賑やか。
好天に恵まれ、青空の下を歩くのは、とても心地よかったです。



このあとは、公民館で婦人会と壮年会の合同懇親会。
ビールが美味しくて、ついつい飲みすぎてしまいました・・・。
(二日酔い、反省)。



2010年6月7日(月)12:22 | トラックバック(0) | コメント(0) | おでかけ日記 | 管理


(1/1ページ)